「日本時計研究会」はどんな集まりで、どうやってできたのでしょうか?
その歴史を紐解きます。
日本時計研究会の成り立ちと歴史

日本の時計整備技術の向上を目指す動きは、戦前からありました。
その中で、「日本時計研究会」は、戦後、特に関東地方の時計技術者が集まって勉強したり、情報を交換する場として発展してきました。
0. 戦前の時計学会:日本の時計整備技術の夜明け
日本の時計技術の歴史を語る上で、戦後の目覚ましい発展だけでなく、その礎を築いた戦前の先駆者たちの存在を忘れることはできません。なかでも、斎藤恒吉氏の功績は特筆すべきものです。
斎藤氏は1901年、26歳の若さで単身アメリカへ渡り、エルジン時計学校に入学します。最先端の時計学を学び、アメリカ合衆国公認時計師資格(CW)を取得。
1924年に帰国した斎藤氏は、その知識と経験を日本の時計技術発展に注ぎます。1927年に「日本時計学校」を設立。1931年には、日本で初めてとも言える時計専門の学術団体「日本時計学会」を立ち上げ、機関紙「時計学雑誌」を創刊します。
「時計学雑誌」は1933年に残念ながら廃刊となりましたが、斎藤恒吉氏が蒔いた時計技術教育と学術研究の種は、井上信夫氏(戦後の米国時計学会日本支部理事長)や伊佐田杉次郎氏(戦後の日本時計学会理事)、菅波錦平氏といった弟子たちを通じて戦後の時計業界へと受け継がれ、日本の時計技術が大きく花開くための重要な基盤となりました。
1. 「日本時計研究会」の直接の起源:「米国時計学会日本支部 関東班」(1956年~)
1956年(昭和31年)に末和海氏の主導で「米国時計学会日本支部 関東班」が設立されました(日本時計学会主催の「時計懇談会」を改組)。これが「日本時計研究会」の直接の始まりです。
- 「日本時計学会」とは?: 1948年に青木保氏と山口隆二氏が中心となって創立された日本時計学会は、時計技術の調査研究を行う学術団体です。山口隆二氏も斎藤恒吉氏の教えを受けており、日本時計学会やCMW制度は斎藤氏の引いたレールの延長線上にあると言えます。
- 「米国時計学会」って?: アメリカにあった時計技術者の団体(H.I.A.)です。当時、日本の時計整備技術を世界レベルに引き上げるために、H.I.A.と連携しようという動きがあり、日本時計学会関西支部を改組して1953年に「米国時計学会日本支部」が設立されました。
「米国時計学会日本支部」は1960年に「日本調時師協会(J.T.M.)」、1968年に「日本時計師会(J.W.I.)」へと改組。CMW資格の試験実施・認証団体として、日本の時計整備業界の発展を牽引していきます。
- 「関東班」の目的は?: 関東班はCMW試験の勉強会として組織されました。CMWは、高度な時計修理技術を持つことを証明するH.I.A.認証の国際的に認められていた資格です。
この難しい試験に合格するために、関東地方の技術者たちが集まって知識や技術を磨こうとしたのが「関東班」だったわけです。
2. 新しい名前で再出発:「関東時計技術研究会」(1960年~)
1960年(昭和35年)になると、親団体である「米国時計学会日本支部」が解散し、「日本調時師協会」(1956年設立)に吸収されることになりました。
これに伴い、「米国時計学会日本支部 関東班」も独立した組織として活動を続けることになり、名前を「関東時計技術研究会」と改めました。
この時から、研究会は独自の機関誌「時鐘(じしょう)」を発行し、さらに活発に情報交換や技術の研鑽を行うようになります。
3. そして「日本時計研究会」へ(1967年~現在)
そして1967年(昭和42年)4月、「関東時計技術研究会」は、さらに名前を「日本時計研究会」と改めました。これが、私たちが現在知る「日本時計研究会」の姿です。
「日本時計研究会」は、毎月のように定例の研究会を開き、時計に関する様々な知識や技術を学び合う場として、長い間活動を続けています。
「HIA日本支部の系譜」という資料が書かれた時点(1992年)では、「日本一の時計研究会」と称賛されるほど、熱心な活動が続けられていたようです。
【ちょっと豆知識】 大阪にも「時計研究会」があった!
実は、関東の「日本時計研究会」とは別に、大阪にも熱心な「時計研究会」(大阪時計研究会とも呼ばれます)がありました。これは1949年(昭和24年)頃から角野常三さんという有名な時計師を中心に活動していたグループで、こちらも日本の時計技術の発展に大きく貢献しました。
大阪の研究会は、残念ながら1992年以前に活動を終えていたようです。
まとめると…
「日本時計研究会」は、戦後の時計技術向上の熱意の中から生まれ、特にCMW試験という高度な技術資格を目指す技術者たちの勉強の場として関東で育ちました。
「時計懇談会」に始まり、「米国時計学会日本支部 関東班」、「関東時計技術研究会」と名前を変えながら、時計を愛する人々が集い、学び、日本の時計整備技術の発展を支えてきた、1956年から続く歴史ある研究会です。